夜間飛行

かくて我らは今夜も飛ぶ 夜間飛行の記録

ブロウアウト

来日が決定したカマシ・ワシントンのデビュー盤”THE EPIC”を昨日買って聴いているのだが、かなり具合が良い。

本当であれば発売日に黄色いお店に韋駄天よろしく駆け込んでソッコーでレジに持って行き、

復路ははやる胸を抑えながら帰り、

チャチャチャッと食事を済ませビールを用意してプシーッッコッと開栓し喉をゴクゴク鳴らしながら再生ボタンポチー!!!

というような、中学男子並みの気合で臨みたいところだが、

記録された音楽の良いところは、放っておいても品質が腐らないことである。

こと「もうやばいことがある程度わかっている」新譜は、

まるで好きなもの残り3口くらい最後の楽しみに取っておく心持ちにも似て、

フトコロ事情は抜きにしても 特に理由もないのに「今じゃないな」と、
なんとなーくもったいぶる時が結構あるものだ。

あれは一体なんなのか。
胸に手を当てて考えてみてもまじで理由がない。
実にビンボっちい性分である。

品質が腐らない一方で、ポピュラー音楽が担うものは「時代性」だとも思う。

今コレが世に出た意義、世に出ることで及ぼす影響あるいは反響、

大げさに言えばそういったことを思わず感じ、

「これから音楽はいったいどうなっちまうのかねえへっへっへ、たまらんなあ、いやァたまらんたまらん」と未来にニマニマしちゃうくらいのパワーを持つ音楽っていうのは、ある。

ガチンコ!における「この後 信じられない光景が!いったいどうなってしまうのか?!」だとか、

マネーの虎における「この男の発言に ある虎が牙を剥く…この直後…」
そういうのにややニマリするやつ。

あるよね?あるんですわ。これ歴史なんですわ。

あとから振り返って、あの名盤が出たあの年はこの人のアレも出てー、このレーベルがさーみたいな。

1969年とか70年代初頭とか特に豊富で、油田なみに一聴の価値のある音楽がザックザクあるわけです。

とにかく、数年後、数十年後にそうなるのが今からもう確信に近いレベルで予感できる時代の波が、
今、確実にブラックミュージックの世界で起こっている。

2014年11月に起こったファーガソン事件(ミズーリファーガソンで起こった、警察官による黒人青年射殺事件) 
これがよく引き合いに出されるのだが、

犯罪と肌の色、平和と肌の色についてのフクザツな感情、失望と緊張のようなものが米国に渦巻いている。気がする。結構する。知らんけど。

現代アメリカにおける人種差別問題についてのある意味仕上げ、
これからの構えみたいなもの、
そしてつまびらかにされまくっている搾取の構造(陰謀論でも何でもない事実)と実態に対する答えが、

いま非常に問われているのかもしれない的なふいんきなぜか変換できない)を、
海の向こうのココ日本でも、アンテナを張っていれば1ミリくらいは感じるのである。知らんけど。

本国では昨年公開、
日本でも現在公開中の映画
『グローリー 明日への行進(原題:SELMA )』の主題歌が、
今年のグラミー賞授賞式にてパフォーマンスされ、

アカデミー賞ゴールデングローブ賞を次々と取ったのも記憶に新しい。

ここらへんよくも悪くも、真っ当で正しい綺麗事は全力でヒューヒューやって拍手喝采肩を抱き合うのがアメリカンである。よい。

ある種の社会問題は、映画や音楽といった文化にめちゃくちゃ影響を与える。
ベトナム戦争サイケデリックロックみたいなもんである。
ある種の問題を抱えた果実が、
音楽を進化させる。

こと素晴らしいなあと思うのは、ひでえことされてきた側の黒人が、「まず自分たちから姿勢を正そうゼ チェックしようゼ」って言っていることなのだ。えらい。神々しい。

やべ!!!!イカン!!!!

めっちゃ話が逸れた。逸れまくった。
俺はカマシのアルバムの話がしたかったんだった!!!
このアルバムは、そういったアメリカと黒人を巡る肌の色問題が主題ではない。中にはそういう曲(もちろんアツい)もある。

カマシのアルバムはデビューアルバムにして3枚組、10分前後の曲が計17曲。
合計170分、ウソみたいなホントの大ボリュームでお値段変わらず2,214円というネジの外れ具合。これにはすたみな太郎もビックリである。
だが中身がすたみな太郎とは大違い。
舌も蕩ける最高級のめちゃウマおにくでゼニコちょーだいのお時間なのである。太っ腹。

“THE EPIC” 叙事詩の意。形容詞でいうと、壮大な。英雄的な。

カマシくん、ケンドリックラマーの新作にも出たし、ますます勢い盛んで嬉しいのである。

ブレインフィーダー。間違いなく今後のブラックミュージックの流れを、ジャズよりのアプローチで引っ張っていくのはこいつらである。

製作総指揮フライングロータス。「最新のアッチイ音楽にこの人あり」と業界引っ張りだこ(俺調べ)のベーシスト・サンダーキャット。と、その弟ロナルドくん。
陳腐な例えで言うなら俺の中では「アベンジャーズ」なのである。
アベンジャーズのメンバーの単体作品。これ実にしっくりくる。

再生ボタンを押せば雄大に吹きまくるテナートランペットトロンボーン、まちがいねードラムスと高揚感を煽るストリングス+アーアーアー↑のコーラス。三拍子でやられると心地よい。
唖然となる。やばい。
マジ銀河、マジ壮大な銀河〜ってかんじの音の絵巻がこっちの心の準備とか関係なしにはじまってしまう。

その音絵巻の広がり方が実に感動的なんである。

この音楽を聴いて待っているのは、物語にカタルシスを感じるときの、あの感動。心の広がり。

いまだかつてあなたが味わったことのない、最高にうまい食べ物をイメージしてほしい。
たとえばサイコーにウマイおにくや、サイコーにウマイすしを食った時の、カツーーーンと心を打つアノ感覚。

なんじゃこりゃ?!
わけわかんない何これ?だけどコレすごい感動?これ感動している??みたいな、これがイイのである。

コルトレーン後期やファラオサンダースのような、熱い魂のスピリチュアルジャズ
熱く、そして懐はデカく、やさしい。

久しく出てこなかったスピリチュアルジャズのあやしくも巨大な空気感と宇宙観を纏ったサックスプレイヤーが、

いま最もアッチイ音楽レーベルで最もアッチいメンバーと最もアッチい仕事をしているというこのワクワク感!!!(冒頭に言いたかったのはコレだ!!!)

サックスっつーのは魂!!!いのち!!!!生命ーーーー!!!!!って感じがよく似合うのだ。

避暑地の原っぱハンモックで寝っころがり満天の星空を見上げながらただウットリ聞きたくなるのである。

去年だか一昨年の夏に小豆島で野営した時に見たあの星空は実に美しかった。

ふと思う。
星と星を繋げて星座として名前をつけたのも、
それに物語をつけたのも、神話を子どもたちに語ったのも、
それぞれに始まりの一人がいたはずである。
それが今や世界共通の認識になっている。
あれはどうやって広がったんだろうかね。

ふと思う。
我々は宇宙を見る時に音楽をつけずにはいられない。
なのに、実際の宇宙空間には空気が存在しないために、無音の世界である。

映画『2001年宇宙の旅』において、宇宙飛行士ボーマンが木星にむけて超光速移動中にパニックを起こし、白痴と化してしまったのは、途方もないスペクタクル空間に音楽がなかったからではないのか?
インターステラー』では、宇宙飛行士クーパーは心の安寧に、雨の降る音を選び、故郷を忘れなかった。

深夜はついハナシが逸れてしまう。

EPIC という言葉にはスラングで「すンげー素晴らしい」の意味もある。
”That’s the epic!!!! ”と、きっと英語圏の人は目ン玉ひんむいてそう言うのだろう。知らんけど。

ほんまかー??と思うなら聴いてみてほしい。
とりあえず音を辿ってみて感じてほしい。
そこになにかを見出してみてほしい。あなたにはなにが見えるだろうか?
できればイヤホンで。

どーなっても知らないのである。